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東京地方裁判所 平成6年(刑わ)233号 判決 1998年3月24日

主文

被告人は無罪。

理由

(以下、括弧内の甲乙の番号は、証拠等関係カードにおける検察官請求の証拠の番号を示し、括弧内の弁の番号は、同カードにおける弁護人請求の証拠の番号を示し、括弧内の職の番号は、同カードにおける職権で証拠調べをした証拠の番号を示す。)

第一  前提になる説明

一  公訴事実

被告人は、平成五年九月二七日午後二時二四分ころ、業務として普通貨物自動車を運転し、東京都品川区八潮二丁目一番一九号先の首都高速湾岸線東行道路を大井方面から有明方面に向かい先行する甲野太郎運転の普通貨物自動車に時速約六五キロメートルで追従するに当たり、同車の動静を注視し、それに応じて適宜速度を調整すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り、同車の先方の大型車を脇見するなどして、前記甲野運転車両の動静を注視せず、同車が減速しているのに気付かないまま、漫然前記速度で進行した過失により、交通渋滞のため同所先で停止した西渕修(当時二七歳)運転の普通乗用自動車に続いて停止しようとしていた前記甲野運転車両をその後方約七・五メートルに迫ってようやく認め、急制動の措置を講じたが間に合わず、自車を右甲野運転車両に追突させ、同車を前方に押し出してその前方で停止していた前記西渕運転車両に追突させ、さらに、同車を前方に押し出してその前方に停止していた大型貨物自動車に追突させた上、同車の後部下方に右西渕運転車両前部を食い込ませるなどして同車を炎上させ、よって、右西渕修に全身火傷の傷害を負わせ、即時、同所において、同人を右傷害により死亡するに至らせ、前記甲野太郎に全治約一週間を要する両下肢打撲等の傷害を負わせたものである。

二  基本的な事実関係

以下の事実が認められることは、関係各証拠から明らかである。

平成五年九月二七日午後二時二四分ころ、首都高速湾岸線東行道路東京港トンネル(以下「本件トンネル」という)内の公訴事実記載の場所において、大井方面から有明方面に向かって走行していた自動車七台の追突事故が発生し、有明方面に向かって先頭から榑松敬人運転の普通貨物自動車、恵木正二郎運転の普通貨物自動車、宮澤一哉運転の普通貨物自動車、青木正樹運転の大型貨物自動車(以下「青木車」という)、西渕修運転の普通乗用車(以下「西渕車」という)、甲野太郎運転の普通貨物自動車(以下「甲野車」という)、被告人運転の普通貨物自動車(以下「被告人車」という)の順でこれら七台の車両が追突した状態で停車し、この事故により、甲野が全治約一週間を要する両下肢打撲等の傷害を負い、西渕車が後続車両に追突されたことによって青木車下に押し込まれ、炎上した結果、西渕が全身火傷の傷害を追って死亡した。

三  争点の概要

検察官は、関係各証拠により本件公訴事実は十分証明されている旨主張しているのに対して、弁護人は、被告人車が最初に甲野車に衝突したのではなく、甲野車がかなりの高速で最初に西渕車に衝突し、西渕車を青木車下に押し込んだ後、被告人車が比較的低速で甲野車に衝突したのであって、西渕が死亡するに至った原因は、甲野車が西渕車に衝突したことにあり、甲野の負傷は、自らの過失によるものである旨主張しており、本件の主要な争点は、被告人車と甲野車の衝突と甲野車と西渕車の衝突の先後関係である。

四  証拠関係及び判断の順序

1  被告人は、捜査段階において、まず被告人車が甲野車に追突し、そのため、甲野車が西渕車に、西渕車が青木車に順次追突したのであり、その原因は、自らの前方不注視の過失による旨供述し、捜査段階の当初は、甲野車が本件トンネル内の事故現場近くで車線変更して被告人車の前に進入してきた旨供述していたが、その後、甲野車が車線変更して被告人車の前に進入してきたのは本件トンネルの入口付近である旨供述を変更していた。

しかしながら、被告人は、起訴後、第一一回公判、第一四回公判、第一五回公判において、甲野車が車線変更により被告人車の前に進入してきたのは本件トンネル内の事故現場近くであって、本件事故は甲野車の急な割り込みが原因であり、被告人車は甲野車に追突しているが、甲野車が西渕車に追突するのは見ていない旨供述している。

これに対して、証人甲野は、第六回公判、第八回公判において、本件トンネルの入口付近で車線変更し、先行車に続いて停止しようとして減速していたところ、突然後続車に追突され、前の西渕車に追突した衝撃を受けた旨供述している。

2  本件公判においては、本件事故の状況及び被告人の取調状況に関する関係者の証人尋問、被告人質問が終了した後、本件事故の態様を明らかにするため、次の各証拠が取り調べられている。

すなわち、まず、弁護人から請求されて採用された鑑定において、裁判所から鑑定を命じられた成蹊大学名誉教授Aは、甲野車が、車線変更した後、停止していた西渕車に衝突し、西渕車を青木車下に押し込んだところに、被告人車が甲野車に追突した旨の鑑定書を作成し、その鑑定書(職五)が取り調べられている(Aは、鑑定書を裁判所に提出後死亡したため、証人尋問は受けていない)。

次に、A作成の鑑定書に反論するため、検察官から鑑定の嘱託を受けた警視庁科学捜査研究所物理科長Bは、被告人車は、制動中の甲野車に二回にわたり追突したものと推定され、その衝突態様はA作成の鑑定書において被告人車が甲野車に追突するよりも先に甲野車が西渕車に追突したとされているのとは一致しない旨の鑑定書を作成し、当公判廷(第二三回公判、第二四回公判)において証人尋問を受け、その鑑定書(甲六四)が取り調べられている。

さらに、裁判所が職権で行った鑑定において、裁判所から鑑定を命じられたC資料解析研究所所長Cは、当公判廷(第二六回公判)において、被告人車は甲野車に二回にわたり追突していると考えられるが、被告人車が甲野車に追突するよりも先に甲野車が西渕車に追突していると考えられる旨の意見を述べている。

その後、Cの右意見に反論するため、検察官から鑑定の嘱託を受けたBは、Cが主張する被告人車と甲野車、甲野車と西渕車の各衝突態様には根拠がない旨の意見書を作成し、当公判廷(第二七回公判)において証人尋問を受け、その意見書(甲六六)が取り調べられている。

3  以上のとおり、被告人の捜査段階における供述、甲野の公判供述及びBの意見は、検察官の主張に沿う内容になっているのに対して、被告人の公判供述並びにA及びCの各意見は、弁護人の主張に沿う内容になっている。

ところで、A、B及びCの各意見は、いずれも、関係者の供述に依拠することなく、実況見分調書及び写真撮影報告書等から認められる関係車両の損傷の状況、関係車両に残された痕跡等の客観的な事実を判断の基礎資料として、自動車工学の見地から本件事故の態様を分析したものである。

そこで、当裁判所は、まず、右三名の意見から、関係車両の衝突順序を検討し、引き続いて、その検討の結果を左右するに足りるかという観点から、被告人及び甲野の各供述の信用性を検討することにする。

第二  関係車両の衝突順序に関する各鑑定意見の当否

一  三名の意見の概要

(一)  Aの意見

車両同士の衝突はほぼ塑性衝突(衝突した車両同士が反発せず、接触したまま運動すること)で、衝突すると二台の車両は同じ速度で接触したまま運動する。このことは、本件でも追突した七台の車両が全部接触して停止していたことからも裏付けられる。

最初に被告人車が甲野車に衝突したと仮定すると、被告人車が六台の車両を押し出し、甲野車が五台の車両を押し出したことになるから、被告人車前部に加わった衝撃力は、ほかの各車両に加わった衝撃力の中で最も大きくなる。大きな衝撃が加われば、車両の損傷も当然大きくなるはずであるから、甲野車前部の損傷と被告人車前部の損傷を比較すると、被告人車前部の損傷が大きくなければならないが、実際には、被告人車前部には、フロントガラスに甲野車後部と衝突したことによる亀裂が見られるだけで、被告人車前部が甲野車後部に深く噛み込んだということはできず、被告人車前部の損傷より甲野車前部の損傷の方が大きい。

また、作用反作用の原理により、被告人車前部に加わった衝撃力と甲野車後部に加わった衝撃力はいかなる場合でも同じだから、甲野車の前部と後部の各損傷を比較すれば、被告人車前部に加わった衝撃力と甲野車前部に加わった衝撃力の大きさが比較できる。甲野車前部にはエンジンが搭載されているから、甲野車の変形に対する強度は、前部の方が後部より大きく、同じ衝撃力が甲野車の前部と後部に加われば、後部が前部より大きく破損しなければならないが、実際は逆で、大野車前部は、左前輪が大きく後退するなど、後部より大きく破損している。

このように、甲野車前部に加わった衝撃力が被告人車前部に加わった衝撃力よりも大きかったということは、被告人車が最初に甲野車に衝突したのではなく、甲野車がかなりの高速で最初に西渕車に衝突し、その後被告人車が比較的低速で甲野車に衝突したことを意味している。

(二)  Bの意見

甲野車保冷庫の後面には被告人車前部のフロントガラス下の取っ手状の突起物が衝突して印象されたと考えられる凹損が二か所あり、その各凹損をそれぞれ被告人車前部の取っ手状の突起物と合わせてみると、いずれの場合も被告人車前部のワイパーアームの根元及びワイパーアームの段差がそれぞれ甲野車保冷庫の後面に印象された別の凹損の位置に当たる。また、被告人車前部のフロントパネルには縦長の二個の凹損が二組あるが、その各二個の凹損を甲野車保冷庫の後面に合わせてみると、それぞれ甲野車保冷庫の後面の左枠及び中央の煽り止めを掛ける縦棒の位置に当たる。そして、これらの痕跡群を対応させると、被告人車の変形したシャーシ部分と甲野車の変形したシャーシ部分が相互に衝突したことになる。

そうすると、被告人車と甲野車は二回にわたりシャーシ同士が衝突したものと考えられるところ、トラックのシャーシ部分が衝突した場合、塑性衝突ではなく、反発衝突(衝突した車両同士が反発し、接触せずに運動すること)になることが予想される。

そこで、被告人車前部のフロントガラス下の取っ手状の突起物と、これが印象されたと考えられる甲野車後部の凹損とが対応するように、被告人車と同型車を甲野車と同型車に追突させる実験をしたところ、被告人車と同型車は、甲野車と同型車に追突してから離反し、さらに追いついて、甲野車と同型車に再度追突し、甲野車と同型車の保冷庫の後面には甲野車保冷庫の後面に印象されたものと、被告人車と同型車前部には被告人車前部に印象されたものとそれぞれ似た痕跡が印象されたことが確認された。

他方、甲野車と西渕車の衝突は塑性衝突であるから、甲野車が西渕車を青木車下に押し込んだ後、被告人車が甲野車に一回目の追突をしたとしても、甲野車はそれほど移動できない状況にあるので、被告人車が甲野車に二回目の追突をする可能性は少なく、被告人車が二回甲野車に追突するためには、最初に被告人車が大野車に追突して、その後、甲野車が西渕車に追突するのと同時くらいに被告人車が甲野車に再度追突したと考えられる。

(三)  Cの意見

甲野車後部には二回の衝突痕が非常に鮮明に残っており、Bが指摘しているように被告人車は甲野車に二回追突していると考えられ、甲野車のシャーシの変形、被告人車の損傷の部位から、被告人車と甲野車の衝突はシャーシ同士が衝突したものと考えられる。

他方で、Aが指摘しているように、甲野車の前部と後部の各損傷の大きさを比較すると、甲野車の前部の損傷が後部の損傷よりもかなり大きいことは明らかであり、甲野車が西渕車に衝突したのは、被告人車が甲野車に衝突したよりも先であると考えられる。

甲野車後部のシャーシの損傷状況を見ると、甲野車後部に相当な衝撃力が加わったことは確かである。他方で、甲野車前部のシャーシの損傷状況を直接示す資料はないが、甲野車前部は、前輪のほか客室部分とエンジン部分が後退しており、シャーシが変形せずに客室部分やエンジン部分だけが変形すれば、シャーシが突き出すことになるところ、事故後の甲野車の外観からはそのような状況は認められないから、シャーシも客室部分やエンジン部分の変形に見合った変形を受けていると推定できる。このような甲野車前部の損傷からすると、甲野車前部の損傷が後部の損傷よりもかなり大きいことは明らかである。

二  検討

右三名の意見は、いずれも、被告人車と甲野車の衝突態様を検討し、これを前提に関係車両の衝突順序を検討するという手順を踏んでいる上、関係車両の衝突順序のみならず、被告人車と甲野車の衝突態様についても、意見が別れているので、まず、被告人車と甲野車の衝突態様を検討し、それに続いて、関係車両の衝突順序を検討することにする。

1  被告人車と甲野車の衝突回数等

Aは、被告人車と甲野車の衝突態様について、ほぼ塑性衝突で、両車両はほぼ一体となって進行したとし、A作成の鑑定書(職五)において被告人車前部と甲野車後部の各シャーシ部分の損傷を比較していないことからすると、被告人車前部のフロントガラス、フロントパネルと甲野車保冷庫の後面が衝突したことを前提にしていると考えられる。

これに対して、B及びCは、被告人車と甲野車は、シャーシ同士が衝突し、被告人車が一旦甲野車に追突し、反発して甲野車と離れ、再度甲野車に追突したとしている。

Bは、前記のとおり、甲野車保冷庫の後面に印象された凹損と被告人車前部のフロントガラス下の取っ手状の突起物、ワイパーアームの根元及びワイパーアームの段差の対応関係、被告人車前部のフロントパネルに印象された縦長の凹損と甲野車保冷庫の後面の左枠及び中央の煽り止めを掛ける縦棒の対応関係から、これらの凹損が二回にわたりずれて印象されたものであると考えられ、さらに、これらの痕跡群を対応させると、被告人車の変形したシャーシ部分と甲野車の変形したシャーシ部分が衝突したことになるから、被告人車と甲野車は、シャーシ同士が衝突し、被告人車が甲野車に二回にわたり追突したと考えられるとした上、本件事故の状況を再現する実験において、そのことが確認されたとして、これらを根拠に右意見を述べている。

さらに、Bは、被告人車前部には、バンパーが変形破砕して後退し、フロントメンバーがやや後方に凹損し、右補助前照灯付近に打刻亀裂痕跡があるなど、シャーシに損傷があったことをうかがわせる痕跡があり(写真撮影報告書《甲三〇》写真番号12ないし17)、甲野車後部には、バンパーが脱落し、左右のシャーシを連結しているリアクロスメンバーが前方に曲損し、左右のシャーシが内側に曲っているなど、シャーシに損傷があった(写真撮影報告書《甲三一》写真番号13)ことを指摘している。

また、Cは、甲野車後部には二回の衝突痕が非常に鮮明に残っており、被告人車は甲野車に二回追突していると考えられ、甲野車のシャーシの変形、被告人車の損傷の部位から、甲野車と被告人車の衝突はシャーシ同士が衝突したものと考えられるとして、Bの意見を支持している。

このように、Bの意見は、被告人車及び甲野車に残された痕跡、被告人車及び甲野車の損傷の状況等の客観的な事実から導き出されたものである上、Cがこれに同調しているものである。

これに対して、Aは、第四回公判調書及び第五回公判調書中の各証人磯田利則の供述部分、実況見分調書(二通、甲一〇、甲一一)によれば、捜査段階において、捜査官は、甲野車保冷庫の後面に印象された凹損を見分した結果から、被告人車前部のフロントガラス下の取っ手状の突起物等が甲野車保冷庫の後面に二回にわたり印象され、被告人車が二回にわたり甲野車に追突したのではないかと考えていたことが認められるにもかかわらず、そのことに全く言及していない上、Bが指摘している被告人車前部のシャーシに損傷があったことをうかがわせる痕跡があり、甲野車後部のシャーシに損傷があることについても検討した形跡がうかがえない。

これらの事情に加え、B及びCは、一致して、素材が軟らかいボディー同士の衝突の場合、車両同士は塑性衝突になりやすいのに対し、素材が硬いシャーシ同士の衝突の場合、車両同士は反発して、離れやすい旨指摘していることからすると、Aは、被告人車と甲野車との衝突が、ボディー同士の衝突であって、塑性衝突であると判断して、それを前提に鑑定を進めていると考えられるが、その前提の正しさについては検証を怠っていたというほかない。

以上検討したところによれば、被告人車と甲野車の衝突態様に関するB及びCの意見は、十分に合理的であり、信用できるのに対して、Aの意見は、十分な根拠を欠き、採用できないから、被告人車は、甲野車とシャーシ同士で衝突し、追突後、いったん甲野車と離れた後、再度甲野車に追突したと認められる。

2  被告人車と甲野車の衝突と甲野車と西渕車の衝突の先後関係

(一) 被告人車が甲野車に二回追突したこととの関係

Bは、被告人車が甲野車に二回にわたり追突しているとすると、甲野車が西渕車に追突して西渕車を青木車下に押し込んだ後、被告人車が甲野車に一回目の追突をしたとしても、甲野車はそれほど移動できない状況にあるので、被告人車が甲野車に二回目の衝突をする可能性は少ないとしている。

これに対して、Cは、被告人車が甲野に二回追突しているとしても、甲野車が西渕車に追突した後、被告人車が甲野車に追突することは可能であるとして、以下の根拠を挙げている。

<1> 被告人車前部のフロントガラス右側にある水平な損傷(写真撮影報告書《甲二》写真番号25、26、実況見分調書《甲一一》添付の図面一中のA)は、甲野車保冷庫の後面上辺部に衝突したことにより生じたものと考えられるが、被告人車前部のフロントガラスは前側に湾曲しているから、フロントガラスの右側にこのような損傷を与えるためには、甲野車が一一度以上右側に向いた状態のとき、被告人車が甲野車に追突したと考えられる。

ところで、甲野車保冷庫の後面に二回にわたり印象された被告人車前部のフロントガラス下の取っ手状の突起物等の痕跡は、一回目に印象された痕跡と二回目に印象された痕跡が大体一二センチメートルから一三センチメートル横にずれているところ、甲野車が右に一一度以上向いた状態のとき、被告人車が甲野車に追突したとすると、甲野車が最大でも六八センチメートル進行したところに、再度被告人車が甲野車に追突すれば、甲野車保冷庫の後面に一三センチメートルずれた二か所の痕跡ができることになる。

<2> 車両が衝突すると、衝突による損傷が二〇パーセントから三〇パーセント復元する(スプリングバック)といわれており、そのスプリングバックによるほか、衝突で反発したり、タイヤが自由に回転できる状態であれば、衝突により後部を大きく振り上げ、それが下りるとき戻る力を生じたり、衝突で相手車両に乗り上げ、その押し込む力がなくなったとき、自然に戻ったりして、車両が戻ることが考えられる。

本件では、甲野車が、西渕車に追突した後、六八センチメートル戻れば、その後、被告人車が甲野車に二回追突する可能性があることになるから、甲野車が西渕車に追突した後、被告人車が甲野車に二回追突することが可能である。これに対して、Bは、複数の根拠を挙げて、Cの意見に反論し、検察官も、Bの反論を根拠にするなどして、Cの意見は本件事故態様を解析するための基準としては合理性を欠いている旨主張している。

そこで、Cの意見の合理性について検討する。

(1) 甲野車が西渕車に追突してから後退する可能性

Bは、車両の衝突による車体の変形は二〇パーセントから三〇パーセント戻る(スプリングバック)といわれているが、変形の戻り分が、抵抗のない空間になったり、車体が前進する余裕になるわけではなく、しかも、六八センチメートルのスプリングバックが生じるためには、スプリングバック後最終的に車体に残る変形量(永久変形量)が一・六メートルから二・七メートルなければならないが、甲野車の永久変形量は五〇センチメートルしかないとした上、Cが、衝突で反発したり、衝突により後部を大きく振り上げ、それが下りるとき戻る力を生じたり、衝突で相手車両に乗り上げ、その押し込む力がなくなったとき、自然に戻ったりして、車両が戻ることが考えられる旨指摘しているのは、甲野車と西渕車の衝突が塑性衝突であることからすると、理解できない旨反論している。

しかしながら、Cは、本件において甲野車が後退したと考えられる根拠として、スプリングバックだけを挙げているわけではなく、衝突した車両が、衝突で反発したり、衝突により後部を大きく振り上げ、それが下りるとき戻る力を生じたり、衝突で相手車両に乗り上げ、その押し込む力がなくなったとき、自然に戻ったりする可能性も指摘している。

また、Cは、車両同士の衝突は、塑性衝突から弾性衝突(反発衝突)までいろいろな範囲があり、実際に反発係数が零であるということはありえないが、事案に合わせて反発係数を零と考えて差し支えない場合はある旨を指摘した上、甲野車と西渕車の衝突は、反発係数が比較的低い衝突であり、塑性衝突とみなして計算しても大きな誤差はないが、〇・一とか〇・二といった反発係数があって、甲野車が押し込む力がなくなれば戻るということは十分考えられる旨指摘しているのであって、甲野車と西渕車の衝突が塑性衝突とみなされる範囲の衝突であったとしても、甲野車が衝突後戻ることが十分考えられることを明らかにしている。

そうすると、Cの意見は、Bの反論にもかかわらず、それなりの合理性がある。

なお、Bは、Cが想定する衝突態様では、甲野車が西渕車に追突し、次いで西渕車が青木車に追突した後、甲野車が六八センチメートル後退し、その後、被告人車が甲野車に追突し、甲野車が六八センチメートル進んだところ、再度被告人車が甲野車に追突したことになり、甲野車と西渕車は三回衝突したことになるが、甲野車前部及び西渕車後部の痕跡から、それを立証することはできない旨指摘している。

しかしながら、甲野車前部及び西渕車後部に残された各痕跡については、その詳細を証拠として保全する措置はとられておらず、Bも、第二七回公判において、甲野車が西渕車に複数回追突していないとは断定できない旨述べていることからすると、Bの反論はCの意見の合理性を覆す根拠にはなるものではない。

(2) 被告人車が追突した際の甲野車の状態

Bは、甲野車が、車体左側が保冷庫ドアの位置で内側に折れ曲がり、上から見ると逆「く」の字型に屈曲しており、被告人車前部のフロントガラス下の取っ手状の突起物等の位置を甲野車後部のそれに対応する痕跡の位置に合わせると、被告人車前部の中心が甲野車後部の左側に当たるように衝突していることから、被告人車は、甲野車が右に向いた状態のとき、甲野車に衝突したわけではなく、その前部の中心が甲野車後部の左側に当たるように衝突(以下、このように軸がずれた状態で衝突することを「オフセット衝突」という)し、衝撃力の中心が甲野車の車体左側の範囲に向かい、甲野車を右に曲げようとする力(右回りのモーメント)が加わったと考えられるとした上、被告人車が一一度以上右を向いた状態の甲野車に追突したとするCの意見に対して、以下の根拠を挙げて、反論している。

<1> 被告人車前部のフロントガラスはフロントパネルよりも後方に傾斜しているので、被告人車が甲野車に追突すると、まず被告人車前部のフロントパネルが甲野車保冷庫の後面に衝突することになり、甲野車保冷庫の後面の上辺部が被告人車前部のフロントガラスに衝突することはなく、仮に、甲野車保冷庫の後面の上辺部が被告人車前部のフロントガラスに衝突したとすれば、被告人車前部のフロントパネルはより大きな損傷を受け、フロントガラス全体が割れるはずである。

むしろ、甲野車保冷庫の後面は、被告人車前部のフロントパネルに押し込まれて上端が後方に折れ曲がり、被告人車前部のフロントパネル右角部が右扉を縦方向に凹損させて右側縁部が内側に折れ曲がることから、上端右枠が左後方に向かって折れ曲がり、その部分が被告人車前部のフロントガラスに衝突して被告人車前部のフロントガラス右側にある水平な損傷ができたと考えるべきである。

<2> 被告人車前部のボディーに印象された縦長の凹損は、甲野車保冷庫の後面の左枠が二回にわたり印象されたものであるが、甲野車が一一度以上右に向いた状態のとき、被告人車が最初に甲野車に追突したとすると、被告人車前部のボディーに甲野車保冷庫の後面の左枠の痕跡は印象されにくいはずである。

<3> 甲野車は車体左側の損傷が大きいが、甲野車が一一度以上右に向いた状態のとき被告人車から追突されたとすれば、力の方向は、甲野車の左側だけに集中することはなく、甲野車の右の後ろから左の前の方向に働くので、甲野車の左側だけが損傷することはなく、もう少し全体的に損傷がでてくるはずである。

<4> 甲野車は、その前部の中心が西渕車後部の中心に当たるように西渕車に衝突(以下、このように衝突した車両の中心軸と衝突された車両の中心軸がずれない状態で衝突することを「フルインパクトの一次元衝突」という)しているが、甲野車が、右に向いた状態であったとすれば、このように西渕車とフルインパクトの一次元衝突をするはずがない。

しかしながら、Bの反論に対しては、以下の指摘ができるのであり、Cの意見はそれなりの合理性がある。

すなわち、第四回公判調書中の証人磯田の供述部分によれば、事故直後、甲野車は、車体を右に向けた状態で被告人車と青木車下に押し込まれた西渕車に挟まれており、西渕車は、後部を右に向けた状態で青木車下に押し込められていたと認められるところ、Cは、第二六回公判において、被告人車が、甲野車にオフセット衝突をし、右回りのモーメントを加えたことはBが指摘するとおりであるとしながら、甲野車が、右に向いた状態ではなく、直進する状態であれば、甲野車後部の被告人車と衝突した部位と甲野車の重心の距離がそれほど離れていないので、甲野車に加わった右回りのモーメントはそれほど大きくはなく、甲野車は比較的先まで行って徐々に曲がっていったと考えられることを指摘している。

この点について、Bは、Cが右指摘をする前の第二四回公判において、甲野車が、被告人車から右回りのモーメントを加えられるにしても、「距離が短いので、その場合に、ちゃんと曲がるか、頭を振るまでに行くかどうかというのが問題だと思うんですが。だから、モーメントをもらえば、すぐに頭を振るかというと、そういうことじゃないと思います」と述べて、Cの右指摘に沿う供述をしている。

ところで、Bが行った本件事故の状況を再現する実験は、甲野車と同型車の前部と西渕車相当車の後部を約五メートル離し、青木車相当車より前に他の車両を配置することなく行われ、その結果、甲野車と同型車は、被告人車と同型車から追突されてから、西渕車相当車を青木車相当車下に押し込んで停止するまで約一五メートル移動し、西渕車相当車は、甲野車と同型車から追突されてから、青木車相当車下に押し込まれて停止するまで、約一〇メートル移動している。

他方において、第六回公判調書及び第一〇回公判調書中の各証人甲野の供述部分、実況見分調書(甲一七)によれば、証人甲野は、被告人車に追突されたとき、自車が西渕車と二・九メートル離れていた旨供述している上、本件事故直後青木車より前には後続車から追突された状態で普通貨物自動車三台が停止していたのであるから、Bが行った実験は、明らかに、証人甲野が供述するよりも甲野車と同型車の位置を西渕車相当車から離した上、本件事故のときよりも甲野車と同型車が停止するまでの距離が長くなるような方法で行われているというほかない。

そうすると、前記Cの指摘に照らして、甲野車が被告人車から最初に追突されたとき直進する状態であり、甲野車と西渕車の位置関係が証人甲野が供述するとおりであれば、甲野車が、最初に被告人車から追突されて加えられた右回りのモーメントにより、車体を右に向け、西渕車をその後部が右に向く状態で青木車下に押し込み、再度被告人車から追突された際、甲野車保冷庫の後面に最初に被告人車から追突されて印象された痕跡から一三センチメートル程度横にずれた痕跡が印象されるかは疑わしいというべきであり、むしろ、甲野車は、最初に被告人車から追突されるときから、車体を右に向けた状態であったとするCの意見に合理性がある。

また、本件事故後、甲野車保冷庫の後面には、その右側が深く、左側に行くに従って浅くなる広範囲な凹損があったところ、その形状は、Cが右に一一度向いた状態の甲野車が被告人車に追突された場面を図にしたもの(第二六回公判調書中の鑑定人尋問調書添付の図一)に示された被告人車前部が甲野車後部に食い込む形状とよく符合しているのに対して、B作成の意見書(甲六六)によれば、Bが行った本件事故の状況を再現する実験後、甲野車と同型車の保冷庫の後面には、主としてその左側に損傷があり、その右側には目立った損傷はなく、その損傷の形状は、本件事故後の甲野車保冷庫の後面にあった損傷とは似つかわしいものではなかったことが認められる。

さらに、被告人車前部のバンパー付近は、右側が左側より大きく損傷しており(実況見分調書《甲一一》写真番号7ないし14、写真撮影報告書《甲三〇》写真番号8ないし10)、Bも、第二七回公判において、このことを認めているところ、このような被告人車前部のバンパー付近の損傷からすると、前記の甲野車保冷庫の後面にある広範囲な凹損に対応して、被告人車前部が左側よりも右側の方がより深く甲野車保冷庫の後面に食い込んだものと考えられる。

この点について、Aも、甲野車保冷庫の後面は、右側の方が左側より大きく破損しており、被告人車前部は、左側にはほとんど損傷が見られず、右前端に損傷が見られ、このことは、被告人車が甲野車に衝突したとき、甲野車が右方向を向いていたことを意味している旨指摘し、甲野車後部及び被告人車前部の各損傷の状況から、Cと同じ結論を導き出している。

さらに、Bの反論に沿って検討すると、以下の指摘ができる。

<1> 前記のとおり、本件事故後の甲野車保冷庫の後面には、右側が深く、左側に行くに従って浅くなる凹損があることからすると、被告人車前部のフロントパネルが、右に向いた状態の甲野車保冷庫の後面に衝突して、甲野車保冷庫の後面を右側から押し込み、変形させ、甲野車保冷庫の後面の上辺部右側が後方に折れ曲がり、その部分が被告人車前部のフロントガラス右側に衝突して、水平な損傷ができたとしても、不自然ではない。

Bは、第二七回公判において、「甲野車が右回りのモーメントを持っていますので、右に頭を振るときに、今度は乙村車(被告人車)の右角がドアに食い込むわけですね。そうすると、まっすぐ後ろに下がっているのが、今度、右のドアが内側にめくれる形になりますので、そうすると、ドアの上の縁がこういう形で合成されて入ってくる(甲野車保冷庫の後面の上辺部が被告人車前部のフロントガラス右側に当たることを指す)と思うんですが」と答えた後、「C鑑定人が言うように一一度傾いて最初からぶつかったとした場合、一回目の衝突でああいう形で傷がつく(被告人車前部のフロントガラス右側の水平な損傷を指す)可能性はあるんですね」と尋ねられて、「そういう可能性はあります」と答えて、間接的であるにしても、このことを認めている。

<2> 前記のとおり、被告人車前部のバンパー付近の損傷からすると、甲野車保冷庫の後面にある広範囲な凹損に対応して、被告人車前部の右側が左側より深く甲野車保冷庫の後面に食い込んだものと考えられ、甲野車保冷庫の後面の右側が、被告人車前部の右側から食い込まれると、甲野車保冷庫の後面の左枠が被告人車前部の左側に当たり、その痕跡が被告人車前部に残る可能性がある。

<3> 甲野車の損傷は、そのすべてが被告人車から追突されて生じたものとは断定できず、甲野車が西渕車に追突して、西渕車を青木車下に押し込んだことによって生じたものもあると考えられる上、甲野車は、被告人車と西渕車に挟まれて逆「く」の字型に屈曲していることからすると、甲野車の車体左側の損傷が大きいのは、むしろ当然というべきであって、甲野車の損傷が被告人車から追突されたことだけから生じたことを前提にして、甲野車の左側と右側の損傷状況を比較し、被告人車が甲野車に追突した態様を推論するのは合理的ではない。

<4> Cは、甲野車と西渕車の衝突態様は明らかにできないと述べた上、Bが甲野車と西渕車の衝突をフルインパクトの一次元衝突と指摘していることについては、両車両の中心軸に全く傾きがないとまでいっているか判然としないとした上、甲野車前部に西渕車後部のスポイラー全体が印象されているが、甲野車が右に一一度向いた状態で西渕車に衝突しても、甲野車前部にそのような痕跡が残る可能性がある旨指摘しており、甲野車が西渕車にフルインパクトの一次元衝突をしたというBの反論の前提自体に疑問の余地がある。

以上検討したとおり、Cの意見に対するBの反論は、いずれもCの意見の合理性を覆すに足りるだけの根拠を挙げておらず、むしろ、Cの意見にはそれなりの合理性があるから、被告人車が甲野車に二回追突したとしても、甲野車が西渕車に衝突した後、被告人車が甲野車に二回追突した可能性は否定できず、被告人車が甲野車に二回追突したことは、被告人車と甲野車の衝突と甲野車と西渕車の衝突の先後関係を判断する決め手にはならない。

(二) 甲野車の前部と後部の各損傷の対比

Cは、甲野車の前部と後部の各損傷を比較すると、甲野車の前部の損傷が後部の損傷よりかなり大きいことは明らかであるとした上、その根拠として、甲野車前部のシャーシの損傷が甲野車後部のシャーシの損傷より大きいことを挙げている。このようなCの意見は、Aと同じ結論を示すものである上、強度がほぼ同じであると考えられる甲野車のシャーシの前部と後部の各損傷を比較することによって、右結論を導き出しているものであって、十分に合理性がある。

これに対して、Bは、実況見分調書(甲一〇)によれば、本件事故後の甲野車の右側の車体の長さ及び右前輪軸と右後輪軸の長さは、事故前と比較してほとんど同じくらいであるのに対して、事故後の左側の車体の長さは、事故前と比較して約五〇センチメートル収縮して変形し、事故後の左前輪軸と左後輪軸の長さは、事故前と比較して約四〇センチメートル収縮して変形しているから、車体左側の変形の五分の四は前輪軸と後輪軸の長さの収縮によって生じたことになり、このような車軸間の長さの収縮は、甲野車が被告人車と西渕車に挟まれて逆「く」の字型に屈曲したことによるのであるから、甲野車の左前輪が後退しているのは、逆「く」の字型に屈曲して車軸間が収縮したことによるのであって、西渕車と衝突したことによるのではないと考えられる上、本件事故の状況を再現する実験によって現われた甲野車と同型車の変形は、後部より前部の方が大きく見えることからすると、甲野車の前部の損傷が後部の損傷より大きく見えることは、甲野車が先に西渕車に追突した根拠にはならない旨反論している。

確かに、甲野車は、左前部が大きく後退して損傷しており、そのような損傷が被告人車と西渕車に挟まれて逆「く」の字型に屈曲したことによることも十分考えられるが、実況見分調書(甲一〇)、写真撮影報告書(甲三一)によれば、甲野車の左前部は、左前輪軸より前の客室部分とエンジン部分が大きく後退しており、このような車体部分の後退に反してシャーシが突き出してもいないことからすると、甲野車の左前輪軸前のシャーシが大きく後退していることは明らかである上、甲野車前部は、西渕車後部のスポイラーが当たった痕跡の部分で大きく凹損していることからすると、甲野車前部の主要な損傷は西渕車と衝突したことによるものと考えるのが自然であり、このことは、自動車工学の専門家であるAとCが、甲野車の前部の損傷が後部の損傷より大きいことは疑いがないとして、甲野車が先に西渕車に追突した旨一致した判断をしていることからも裏付けられる。

のみならず、Bが行った本件事故の状況を再現する実験において、被告人車と同型車が甲野車と同型車に追突した際の衝撃力が、本件事故の際のものと同等であったかどうかは定かでないにしても、B作成の意見書(甲六六)によれば、その実験により甲野車の左前部が受けた損傷は、左後輪、客室部分及びエンジン部分が後退するほどのものではなく、甲野車の左前部が受けた損傷と似つかわしいものではなかったと認められる。

そうすると、甲野車の前部の損傷が後部の損傷よりもかなり大きいことから甲野車が先に西渕車に追突したと考えられるというCの意見は、Bの反論にもかかわらず、それなりに合理性がある。

(三) Bが行った本件事故の状況を再現する実験

Bが行った本件事故の状況を再現する実験は、被告人車が甲野車に追突し、その後甲野車が西渕車に追突したことを想定した実験だけを行っており、それ以外の衝突順序を想定した実験は行っていないのであるから、Cが指摘するとおり、被告人車が甲野車に二回追突する一つの例ではあるが、衝突態様として考えられる唯一の例であるとは考えられない。

また、Bが行った実験は、想定されるより甲野車と西渕車の位置を離し、青木車相当車より前には他の車両を配置せずに行われ、実験後の甲野車と同型車の前部と後部の各損傷の状況が甲野車の前部と後部の各損傷の状況と似つかわしくないものであり、しかも、Bが、第二四回公判において、この実験は、反発係数を計るのが目的であり、衝突状況をそのまま再現しようということを意図したものではない旨供述していることからすると、このようなBが行った本件事故の状況を再現する実験は、Bの意見の合理性を高めるのに足りるものではない。

三  小括

以上検討したところによれば、被告人車は甲野車に二回追突していると認められるが、それを前提にしても、被告人車が最初に甲野車に追突してから甲野車が西渕車に追突した旨のBの意見は合理性が乏しいのに対して、甲野車の前部と後部の各損傷の状況から、被告人車が甲野車に追突するより先に甲野車が西渕車に追突したとするCの意見は、それなりに合理性があり、Bの反論によってもその合理性に疑いを差し挟むことはできない。

第三  被告人及び甲野の各供述の信用性

被告人及び甲野は、前述のとおり、本件事故の態様について食い違った供述しているので、引き続いて、関係車両の衝突順序に関する各鑑定意見の当否についての前記検討の結果を左右するに足りるかどうかという観点から、被告人及び甲野の各供述の信用性を検討する。

一  被告人の供述の信用性

1  被告人の供述の概要

(一) 逮捕中の供述(平成五年九月二八日付け警察官調書《乙一》、同月二九日付け検察官調書《乙一一》)

被告人は、前記各供述調書において、被告人が逮捕直後本件事故現場において事故前後の状況を指示説明した結果作成された実況見分調書(甲三六)添付の現場見取図に従って、次の趣旨の供述をしている。

首都高速湾岸線東行道路の大井方面から有明方面に向かう三車線の道路の最も道路中央よりの車線(道路端から道路中央に向かって順に第一車線、第二車線、第三車線という)を時速七〇キロメートルくらいで進行し、本件トンネルの入口あたりまで来たとき、かなり前方に黒いシルビアの西渕車が走っているのに気付いた。第三車線は交通量が多かったが比較的スムーズに流れている感じだったので、前方をよく見ず、スムーズに流れていて渋滞していないと思い込み、時速七〇キロメートルくらいのまま走行した。

本件トンネル入口から一一六・六メートル入った地点(被告人車と甲野車の衝突地点から六八・一メートル手前の地点)で、第二車線の前方六・八メートルの地点にいた保冷車(甲野車)が第三車線に進入してきたので、時速六五キロメートルくらいに減速したが、甲野車に気をとられ、その前方まではうっかり見るのを忘れていた。そこから、時速六五キロメートルくらいのまま、さらに一六・六メートル進行したとき(被告人車と甲野車の衝突地点から五一・五メートル手前の地点)、甲野車は一三・三メートル前方を走行しており、甲野車の様子をよく見ていなかったので、甲野車の尾灯の赤ランプはついていたが、ブレーキランプがついていたかどうかは確かめなかった。

時速六五キロメートルくらいのまま、さらに四一・三メートル進行した地点(被告人車と甲野車の衝突地点から一〇・二メートル手前の地点)で、甲野車の屋根越しに前方を見たところ、大型トラック(青木車)が止まっているように見えたので、危ないと思って前を見ると、甲野車が七・五メートル前方で止まろうとしているのがわかった。そこで、思いっきり急ブレーキをかけたが、さらに九メートル進行して、ブレーキのききが間に合わないうち、止まった甲野車に追突し、さらに一一・九メートル進行して止まった。甲野車は追突された衝撃で一・九メートル押し出されて西渕車に追突し、西渕車は、一・五メートル押し出されて青木車に追突し、さらに六・五メートル押し出されて、青木車に潜り込み、甲野車と青木車の間に挟まれてつぶれ、炎上した。

(二) 釈放後起訴されるまでの供述(平成五年一〇月二五日付け警察官調書《乙九》、平成六年一月七日付け《乙二》及び同年二月一日付け《乙三》各検察官調書)

被告人車は、前記各供述調書において、被告人が平成五年一〇月二五日甲野と共に本件事故現場において事故前後の状況を指示説明した結果作成された実況見分調書(甲一七)添付の現場見取図に従って、逮捕中の供述のうち甲野車が第二車線から第三車線に車線変更した位置を訂正した上、次の趣旨の供述をしている。

首都高速湾岸線東行道路の大井方面から有明方面に向かう車線の第三車線を進行し、第三車線は交通量が多かったがスムーズに流れていると感じ、前方をよく見ず、渋滞していないと思い込んで、本件トンネル入口近く(被告人車と甲野車の衝突地点から二一三・四メートル手前の地点)まで来た。

その時、第二車線の前方七・五メートルの地点にいたワゴン車(甲野車)が第三車線に進入してきたので、時速六五キロメートルくらいに減速した。さらに五六・八メートル進行したとき(被告人車と甲野車の衝突地点から一五六・六メートル手前の地点)、甲野車は二〇メートル前方を走行しており、車間距離を調整しながら、前方を見ないで、エアーブレーキのエアータンクの目盛りを見てエアーの残量を確かめた。さらに八七メートル進行したとき(被告人車と甲野車の衝突地点から六九・六メートル手前の地点)、甲野車が三二・五メートル前方を走行しているのを見て、甲野車が尾灯ランプをつけているのはわかったが、ブレーキランプをつけているかどうかは確かめなかった。また、甲野車の前を走行している大型車(青木車)の荷台上部は見えていたが、青木車が走っているのか止まっているのかまではわからず、エアータンクの目盛りや先方の青木車を脇見していたので、前方が渋滞していることには全く気付かなかった。

時速六五キロメートルくらいのまま、さらに六〇・四メートル進行した地点(被告人車と甲野車の衝突地点から九・二メートル手前の地点)で、甲野車が七・五メートル前方で止まる寸前のスピードだったので、危ないと思い急ブレーキをかけたが、さらに一〇・二メートル進行したところで、ブレーキがきかないうち、徐行していた甲野車に衝突した。その後の状況は、逮捕中の供述のとおりである。

(三) 公判供述(第一一回公判調書、第一四回公判調書及び第一五回公判調書中の各被告人の供述部分)

被告人は、前記各公判調書において、次の趣旨の供述をしている。

首都高速湾岸線東行道路の大井方面から有明方面に向かう車線の第三車線を時速七〇キロメートルくらいで進行し、本件トンネルに入って一〇〇メートルくらいのところで、四、五メートル前方の甲野車が車線変更してきたので、時速六五キロメートルくらいに減速し、甲野車との車間距離が二〇メートルくらいになり、甲野車の前方を見ると、青木車が走っているのが見えた。その時、甲野車はテールライトをつけておらず、方向指示器も出していなかった。

それから、エアーブレーキの残存量とスピードメーターを確認して、再度前を見ると、甲野車が一〇メートルくらい前方にいたので急ブレーキを踏み込んだ。甲野車は、ローリングして右に傾き、前方一メートルもないところまで近づいたとき、左に傾いていた。急ブレーキを踏んでから一三、四メートル進行して、甲野車と衝突し、さらに二メートルくらい進行して停止した。ブレーキは効いており、止まるか止まらないかくらいの速度で甲野車に衝突し、その衝撃は大きくなかった。甲野車の前の青木車は見えていたが、甲野車と青木車の間の西渕車は見ておらず、甲野車がその前の自動車に衝突するのは見ていない。

2  被告人の捜査段階における供述の信用性

(一) 被告人車と甲野車の衝突と甲野車と西渕車の衝突の先後関係

自動車検査証(二通、甲二七、二八)、資料入手報告書(三通、甲四六ないし四八)によれば、甲野車の車高は一九六センチメートルであるのに対し、西渕車の車高は一二九センチメートルであり、被告人車の運転席に座ったときの視線の高さとほぼ同じ位置にある被告人車の右後写鏡の地上高は一九三センチメートルであり、甲野車の車幅及び西渕車の車幅はいずれも一六九センチメートルであることが認められる上、甲野車と西渕車の衝突により、甲野車前部のフロントパネルに西渕車後部のスポイラーの全体がそのまま印象されていたことからすると、甲野車の後方を走行していた被告人車から見る限り、甲野車に追突する前後は、西渕車が甲野車にすっぽり隠れていたと考えられ、被告人が、甲野車の屋根越しに西渕車を現認できたか疑問があり、甲野車の脇から西渕車を現認できたかも疑問がある。

そこで、被告人の捜査段階における供述を検討してみると、被告人は、平成五年九月二九日付け検察官調書(乙一一)においては、「トンネル入口辺りまできたとき、私の車の可成り前方に黒のシルビアが走っているのに気がつきました。このシルビアが西渕さん運転の車でした」と供述しているが、本件トンネルに入って以降の西渕車の動静については何ら供述するところがなく、かえって、「前車(甲野車)の屋根越しにその先方を見ました。私が先方を見たところ、大型トラック(青木車)が先に見えて、同トラックは止まっているように見えました。私は、先方でトラックが止まっている危ないと思い前を見ると、前車が……止まろうとしているのが判りました」と供述し、青木車の存在は把握していたにもかかわらず、その手前を走行する西渕車の動静については全く把握していなかったとも受けとれる供述をしている。

また、被告人車は、平成六年一月七日付け検察官調書(乙二)においては、西渕車の動静については何ら供述しておらず、かえって、本件トンネル内を進行中「その(甲野車の)前の大型車(青木車)の荷台上部は見えましたが大型車が走っているのか止まっているのかまで判りませんでした」と供述し、西渕車の存在自体を把握していなかったかのような供述をしている。

そうすると、被告人が、捜査段階において、甲野車に追突してから、甲野車が西渕車に、西渕車が青木車に順次追突した旨供述しているのは、やや唐突な感じを免れず、現実に目撃したところをありのまま供述しているのか疑問がある。

これに対し、被告人が、公判において、甲野車の前の青木車は見えていたが、甲野車と青木車の間の西渕車は見ておらず、甲野車がその前の車両に追突するのは見ていない旨供述しているのは、以下の各供述によっても裏付けられており、捜査段階における供述と比べて、むしろ自然である。

すなわち、被告人は、平成五年九月二八日付け(本件事故の翌日)警察官調書(乙一)において、「危ないと思い急ブレーキをかけましたが間に合わず……私の前部(被告人車前部)が相手方の後部(甲野車後部)に追突してしまいました。衝撃は、かなりありアッという間に数台の車両を押し出したことがわかりました。……大変だと思い降車して見ると相手方の車は合計六台あり……それぞれの車の前部と後部が食い込み、シルビア(西渕車)は、大型車(青木車)の後部下側に殆ど潜り込み、更に保冷車(甲野車)が大型車に食い込んでいるためシルビアの跡形も無く、もうこの運転手は死んでいると思い膝が、ガクガクしてしまいました」と供述しており、この供述からすると、被告人は、甲野車が西渕車に追突するところは見ておらず、事故直後の関係車両の状況から、被告人が、甲野車に追突して、甲野車を押し出し、被告人車より前の車両が順次それより前の車両に追突していったものと理解したことがうかがわれるところ、本件事故当日被告人を立ち会わせて本件事故現場の実況見分を行った証人尾形博史も、第一八回公判調書において、その実況見分の際の被告人の指示説明について「(西渕車より前の車両の衝突状況については)車両の追突状況から、私のほうから衝突状況はこのような状況ではないかと言ったところ、本人(被告人)もそれでいいということでしたので、本人(被告人)の指示説明として調書(実況見分調書)に書きました」旨供述している。

そうすると、甲野車と西渕車の衝突を目撃していなかった旨の被告人の公判供述は自然であり、被告人の捜査段階における供述のうち、被告人車が甲野車に追突したことによって甲野車が西渕車に追突したのを現認した旨の部分は、直ちに信用することはできない。

(二) 被告人車と甲野車の衝突位置と被告人車の停止位置

被告人が捜査段階において供述する被告人車が甲野車に追突してから停止するまでの距離、被告人車が甲野車に追突したときの衝撃等からすると、被告人車が甲野車に追突したことにより、甲野車が西渕車に追突し、西渕車を青木車下に押し込んだと見るのが自然である。

そこで、この点に関する被告人の捜査段階における供述を検討してみると、被告人は、平成五年九月二九日付け検察官調書(乙一一)においては、「私は危ないと思い、思い切り急ブレーキをかけましたが間に合わず、……前車(甲野車)に追突してしまったのです。……私のブレーキはききが間に合わないうちに追突してしまったので、私は『ドカン』とものすごい音とものすごい勢いで前車に追突してしまいました」と供述しているが、その供述調書においては、実況見分調書(甲三六)添付の現場見取図に従って、ブレーキをかけてから甲野車に追突するまで九メートル進行した旨供述しているのであるから、思い切り急ブレーキをかけたにもかかわらず、ブレーキの効きが間に合わないうち追突したというのは、いささか不自然である。さらに、被告人は、平成六年一月七日付け検察官調書(乙二)においては、同様に「私は危ないと思い急ブレーキをかけましたが、ブレーキがきかないうちに……甲野さんの車に……追突してしまいました」と供述しているが、その供述調書においては、実況見分調書(甲一七)添付の現場見取図に従って、ブレーキをかけてから甲野車に追突するまで九・二メートル進行した旨供述しているのであるから、同様の不自然さが残る。

これに対して、「急ブレーキを踏んでから一三、四メートル進行して甲野車に衝突し、そのとき、ブレーキは効いており、止まるか止まらないかくらいの速度で衝突し、衝撃は大きくなく、さらに二メートルくらい進行して停止した」旨の被告人の公判供述については、積極的にこれに沿う証拠はない。

しかしながら、被告人は、第一四回公判調書において、実況見分調書(甲三六)によると、甲野車に追突してから一一・九メートル進行して停止したことになっているが、本件事故直後の実況見分においては、甲野車に追突してから二メートルくらい進行して停止した旨説明したところ、警察官から、速度と荷物を積んでいたことから、長年の経験に照らして計算上合わないと言われて、聞き入れてもらえず、その後の取調べにおいても、同様の説明をしたが、聞き入れてもらえなかった旨供述している。

そこで、この点について検討を進めると、証人尾形は、第二回公判調書において、本件事故現場に臨場したところ、縦一列に食い込んだ追突事故であり、被告人は、前方不注視のため先行車に追突して、すべての車両を押し出したことを認めていた上、先頭の四台の車両の運転車は、停止中に追突され、衝撃は一回である旨述べており、最後尾の車両が先行車すべてを押し出したときは縦一列に食い込んだ追突事故になり、先行車が追突したところに後続車が追突したときはそうはならないことなどから、被告人を犯人と判断して、現行犯逮捕し、被告人を立ち会わせて実況見分を行った旨供述している。

そうすると、捜査官は、捜査段階の当初から、被告人車が甲野車に追突したことによって本件事故が起きたものと断定して、捜査を進めていたと考えられるのであるから、被告人が、公判供述のような弁解をしたのであれば、それでは、被告人車から追突されたことによって甲野車が西渕車を青木車下に押し込んだことにはならないから、捜査官が被告人車の弁解を聞き入れなかったとしても、あながち不自然ではない。

このことは、被告人の前記各検察官調書において、急ブレーキをかけたが、ブレーキが効かないうちに甲野車に追突した旨の不自然ともとれる供述がされていることのほか、本件事故直後の実況見分及びその後の取調べにおいて、被告人が、被告人車が甲野車に追突したことによって甲野車が西渕車に追突したのを現認したものとされ、その旨の実況見分調書及び被告人車の各供述調書が作成されていることによっても裏付けられていると見ることができる。このように考えると、被告人の捜査段階における供述のうち、被告人車が甲野車に追突した状況及びその位置に関する供述部分は、直ちに信用することはできない。

3  小括

以上検討したところによれば、被告人車と甲野車の衝突と甲野車と西渕車の衝突の先後関係、被告人車と甲野車の衝突位置に関する被告人の捜査段階における供述は、直ちに信用できず、被告人の捜査段階における供述はCの意見の合理性を左右するに足りるものではない。

確かに、検察官が主張するように、被告人の公判供述は、被告人が、甲野車に気づいた時点で、すでに被告人車と前方の西渕車の距離は一〇〇メートル内外になっていたのであり、しかも本件トンネル内は下り勾配になっていたから、被告人が、甲野車が進入してきた時点で西渕車に気づかなかったというのは不自然であり、甲野車が、テールライトをつけ、ある程度減速していたことも、他の証拠によって裏付けられているから、甲野車が衝突直前までテールライトをつけていなかったというのも他の証拠と矛盾している上、甲野車が左右にローリングしたというのも、Cの意見による本件事故の態様と必ずしも一致するものではない。

しかしながら、このような事情は、被告人が先行車両の動静を十分注視していなかったことを推認させるに足りるものではあっても、本件公訴事実を証明するための積極証拠である被告人の捜査段階における供述の信用性を高める事情になりえないことは明らかである。

二  甲野の供述の信用性

1  甲野の供述の概要

証人甲野は、第六回公判調書、第八回公判調書及び第一〇回公判調書において、次の趣旨の供述をしている。

大井料金所から首都高速湾岸線東行道路の大井方面から有明方面に向かう車線に入る際、合流地点のゼブラゾーンをまたいで本線の第一車線に進入し、本件トンネル入口の三〇メートルから四〇メートル手前で第二車線に車線変更し、そのとき第三車線を西渕車が時速一〇〇キロメートルくらいの速度で追い抜いていき、その後、サイドミラーで第三車線にいる後方の被告人車を確認したところ、車間距離が三〇メートルは離れていたので、時速八〇キロメートルくらいに加速して、第三車線に車線変更し、本件トンネルに入ったところで車線変更を終了した。

本件トンネルに入ってから、ヘッドライトとテールライトをつけ、しばらく進行して、前の西渕車と青木車が、ブレーキライトをつけ、ハザードライトを点滅させたので、自分もハザードライトを点滅させ、二、三回ポンピングブレーキを踏んで、緩やかにブレーキを踏み、青木車と西渕車が停止した後、自車が完全に停止しないうち、後ろから追突され、前に押し出されて、西渕車にぶつかった衝撃を感じ、西渕車がいなくなったことに気づいた。追突されるまで、トンネルの壁側を道路に平行に進行しており、ハンドルを左右に切ったことはなかった。

2  甲野の公判供述の信用性

甲野は、本件事故において、被告人車と甲野車の衝突と甲野車と西渕車の衝突の先後関係を直接認識できたはずであるが、その先後関係によっては、自らの刑事責任を問われかねない立場に立っていたから、証人甲野の公判供述の信用性は慎重に検討しなければならないところ、証人甲野の公判供述を検討すると、以下の点からその信用性に疑いを抱かざるをえない。

(一) 甲野車の車線変更の状況

資料入手報告書(甲五九)、写真撮影報告書(甲五)、区画線縮小図入手経緯および電話聴取報告書(弁九)によれば、大井料金所から首都高速湾岸線東行道路の大井方面から有明方面に向かう車線に進入する合流地点は、本件事故当時、進入路が二車線、本線が二車線あり、進入路の二車線がやがて一車線になり、そのまま本線と合流して本線の第一車線となり、本線の二車線が第二車線及び第三車線となって、進入路から本線の第一車線に入るには車線変更を必要としなかったが、本件事故後の平成五年一一月、車線区分を変更する改修工事が行われ、進入路が一車線、本線が三車線となり、進入路がそのまま本線と合流することはなく、進入路から本線の第一車線に入るには車線変更を必要とするようになったことが認められる。

ところで、証人甲野は、第八回公判調書において、大井料金所から首都高速湾岸線東行道路の本線に入る際、合流地点のゼブラゾーンをまたいで第一車線に進入し、本件トンネル入口の三〇メートルから四〇メートル手前で第二車線に車線変更し、さらに、第三車線に車線変更し、トンネルに入るか入らないかで車線変更を終了した旨供述しているが、本件事故当時、大井料金所から首都高速湾岸線東行道路の大井方面から有明方面に向かう車線に進入する際、合流地点のゼブラゾーンをまたいで本線に進入すると、直ちに第二車線に入ることから、この供述は本件事故当時の客観的な車線区分と符合しないことになる。

このような証人甲野の公判供述は、弁護人が、本件事故当時の状況を尋ねる際、誤って改修工事が行われた後の車線区分の図面を示して尋ねたのに対して答えたものであるから、弁護人の誤導尋問によって誤った答えをしたものととれなくもないが、証人甲野は、一回目の車線変更のときはゼブラゾーンをまたぎ、二回目の車線変更のときは西渕車が第三車線を追い抜いていき、三回目の車線変更のときは本件トンネル入口付近であった旨供述し、三回の車線変更の際の特徴的な事実を供述している上、第一〇回公判調書においては、検察官から、本件事故当時の車線区分の図面を示されて尋ねられたのに対しても、三回車線変更した記憶がある旨供述している。

また、証人甲野は、第二車線から第三車線に車線変更をした地点について、第八回公判調書においては、前輪か後輪が本件トンネル入口手前から始まっている車線変更禁止を示す黄色い車線境界線をかするようにして車線変更し、本件トンネルに入って車線変更が終了した旨供述し、甲野自身が、実況見分調書(甲一七)において、本件トンネル入口から四六・五メートルの地点で車線変更を終了した旨指示説明していることについて、「こんなには行っていないと思うんですけれども」と供述しているのに対して、第一〇回公判調書においては、実況見分調書(甲一七)における指示説明には間違ったところはなく、車線変更は本件トンネル入口から四六メートルくらい入った範囲では終了している旨供述し、第三車線に車線変更を終了した地点について異なった趣旨の供述をしている。

このように、甲野車が車線変更した状況に関する証人甲野の公判供述は、不自然なところがあり、被告人は、甲野車が本件トンネル内において車線変更して急な割り込みをしたことが本件事故の原因である旨主張していることからすると、このような事実について証人甲野の公判供述に不自然なところがあるのは看過できない。

(二) 西渕車の走行態様

甲野は、第六回公判調書、第八回公判調書及び第一〇回公判調書において、第二車線に車線変更するとき、第三車線を西渕車が時速一〇〇キロメートルくらいの速度で追い抜いていき、その後、実況見分調書(甲一七)において指示した自車と西渕車の位置関係のとき、前方の西渕車がブレーキライトとハザードライトをつけるのが見えた旨供述している。

ところで、証人大野は、前記各公判調書において、時速八〇キロメートルから九〇キロメートルで進行していた旨供述しており、他方で、実況見分調書(甲一七)においては、西渕車との車間距離は、車線変更を終了した地点より西渕車がブレーキライトとハザードライトをつけるのが見えた地点の方が離れているように指示説明しているから、西渕車が甲野車より速い速度で走行していた旨説明していることは明らかであり、証人甲野は、第一〇回公判調書において、この点について尋ねられ、実況見分調書(甲一七)における指示説明が間違いないと思う旨供述した上、自車から西渕車が離れていっていたことを肯定しているととれる供述をしている。

そうすると、証人甲野の公判供述からは、西渕車はブレーキライトとハザードライトをつけるまで、時速八〇キロメートルをはるかに越える速度で走行していたことになるが、実況見分調書(甲一七)における甲野の指示説明によれば、西渕車がブレーキライトとハザードライトをつけた地点から甲野車が西渕車に追突した地点までは四一・七メートルしか離れていない。そこで、西渕車が、時速八〇キロメートルをはるかに超える速度で走行していた場合、甲野の指示する西渕車がブレーキライトとハザードライトをつけた地点から甲野車が西渕車に追突した地点までの間で停止できたかどうかを検討してみると、Aは、甲野車が本件事故の状況のもとで時速八〇キロメートルで走行したとき停止するのに必要な距離は五九・一メートルになるとした上、停止距離を求めるうえで車両の質量は関係ない旨指摘しており、Cも、Aが求めた停止距離は反応時間を長めに想定していることから、やや長めではないかという感じがするが、五〇メートル台にはなると思う旨供述しており、Aの前記指摘からは、甲野車の停止距離と西渕車の停止距離はそれほど違わないと考えられるから、証人甲野の公判供述及びその前提となる実況見分調書(甲一七)における甲野の指示説明では、西渕車は青木車の前で停止する(実況見分調書《甲八》写真番号13には、本件事故直後西渕車のサイドブレーキが引かれた状態であったことが撮影されており、西渕車が青木車の手前で停止していたことは明らかである)ことが困難になる。

また、被告人は、平成五年九月二九日付け検察官調書(乙一一)において、本件トンネル入口まできたとき、かなり前方に西渕車が見えた旨供述しているのであって、このような被告人の捜査段階における供述と対比すると、証人甲野の公判供述及びその前提となる実況見分調書(甲一七)における甲野の指示説明の不自然さは、より一層大きなものになる。

このように、証人甲野の公判供述が、西渕車に走行態様について不自然であるということは、証人甲野が、本件事故までの自車と西渕車の位置関係について必ずしも真実を述べていないと疑う余地があるということになるから、そのことは、被告人車と甲野車の衝突と甲野車と西渕車の衝突の先後関係に関する証人甲野の公判供述の信用性に影響を及ぼすというべきである。

3  小括

以上検討したところによれば、証人甲野の公判供述は、甲野車が車線変更をした状況、西渕車の走行態様について不自然なところがあり、直ちに信用することはできないから、被告人車と甲野車の衝突と甲野車と西渕車の衝突の先後関係に関する証人甲野の公判供述は、Cの意見の合理性を左右するに足りるものではない。

第四  結論

以上検討したところによれば、関係車両の衝突順序については、弁護人が主張するとおり、被告人車が甲野車に衝突するより前、甲野車が西渕車に衝突したのではないかという合理的な疑いが残る。

そうすると、本件公訴事実については、被告人車が甲野車に追突したことと西渕の死亡及び甲野の受傷との間に因果関係がなかったのではないかという合理的な疑いが残る。

以上のとおりであって、本件公訴事実については、犯罪の証明がないことに帰するから、刑事訴訟法三三六条により被告人に対し無罪の言渡しをする。

(裁判長裁判官 山口雅高 裁判官 阿部浩巳 裁判官 飯畑勝之)

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